白石城は秀吉の奥州仕置により、伊達領から蒲生領となり、天正19年(1591)に会津領主の蒲生氏郷が築城。蒲生氏の後には会津領主となった上杉景勝の家臣甘粕備後清長が入り改修をしている。
慶長5年(1600)伊達政宗は、白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、その後、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後、明治維新まで260余年間、片倉氏の居城となり、城下町として栄えた。
明治7年(1874)に、城は取り壊されましたが、平成7年(1995)に三階櫓(天守閣)と本丸の一部が木造で復元され、石垣や大手門土台石などと共に、現在は益岡公園として整備されていす。
益岡公園の北西に、武家屋敷が数軒建ち並んでいるが、沢端川に面した後小路に佇んでいる旧小関家(内部見学が可能)は前面、側面の掘割に澄んだ水が流れ、城跡の周辺は今も城下町の風情が残っている。
白石城は東日本大震災の影響で、天守閣、大手二の門、土塀などに大きな被害を受け、復旧工事中に撮った写真です。(平成24年(2012年)9月末復旧工事完了予定) |