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水沢城は1629(寛永6)年、伊達家一門の留守宗利が入城してから幕末までの約230年間1万6千石の居城であった。

城は、正確には水沢要害と呼ばれ、一之曲輪(本丸)二之曲輪(二の丸)三之曲輪(三の丸)南曲輪などにわかれ、曲輪を囲んだ土塁に杉や松が植えられていたが、現在は、三之曲輪跡の奥州市役所前(写真)にこの姥杉一本だけが残っている。

市役所周辺には、伊達支藩の留守氏時代の城下の武家屋敷の名残が今も見られ、往時の面影を感じさせてくれる。また、この地からは、後藤新平、斎藤実、高野長英など多くの偉人を輩出している。

 

 

内田家旧宅(市指定有形文化財)

 内田家の初代は、16世紀の後半に留守政景(伊達政宗の叔父)に召し抱えられ、足軽奉行を務めたといわれる。

 現在茅葺で四脚の薬医門を表門とし、屋敷内には、茅葺の主屋(175.62m)、塀重門、表庭、裏庭が残され、往時の姿が偲ばれる。なお、平成2年に主屋は復元された。


後藤新平旧宅(県指定有形文化財)

 慶応2年(1866)「水沢家中家並覚牒」に奥小姓頭・後藤佐伝冶とある屋敷がこの後藤新平宅で、18世紀中頃に建築されている。現在の間取りなどは晩年の後藤新平が行った修理を受け継いだものである。茅葺の厠(便所)と板倉が主屋裏に残る。

式台玄関

玄関の間


 小幡家

 留守氏家臣の武家屋敷。唯一長屋門形式の表門を持つ武家屋敷。

 安倍家

 武家屋敷安倍家は、留守家の大番士を務めた家臣の屋敷。屋敷内には、明治初期に建てられた母屋をはじめ、土蔵、板倉、井戸などがある。翆松園となずけられた母屋は、苔むす表庭を正面に一部二階建ての数寄屋風の建物として趣向を凝らしている。

 吉田家

 留守氏家臣の武家屋敷。江戸時代の薬医門が残る。

 高橋家

 武家屋敷高橋家は、留守家の大番士を勤めた家臣の屋敷。屋敷内は江戸時代の建物配置をとどめ、1874(明治7)年から8年をかけて建てたといわれている母屋をはじめ、薬医門、土蔵、板倉、井戸などがある。

 母屋は、唐破風の玄関と木彫や障壁画で建物を飾り、当時としては非常にめずらしい窓ガラスやレンガも使った和洋折衷の建物でガス燈がひかれている。建物内の襖絵などは水沢の画人菅原竹侶が手がけ、天井一面に龍が描かれた「龍の間」もある。

<現地案内板より抜粋>