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伏見屋敷めぐり

 

 聚楽第を甥・秀次に譲った豊臣秀吉は、次なる野望に向けて、1594年(文禄3)、指月伏見城を築くが、1596年(慶長元年)の慶長の大地震で倒壊すると、早くも翌年の1597年(慶長2)には、指月伏見城の北東に位置する木幡山に天守を完成させ、木幡山伏見城が聚楽第に替わる新しい政庁となったのです。

   城下に全国の大名や商工業者が集められ、有力大名の屋敷は城郭周辺に、商工業者(町屋)はその西側の南北に走る京町・両替町の通りを中心に分けて城下町が形成されました。

  さて、今も伏見には、官位や旧苗字などでわかる大名にかかわる町名や商・手工業の町名が数多く残っています。文禄年間(1590頃)に作られた「豊公伏見城の図」などによると、大名によっては城に近い地区に上屋敷、郊外に下屋敷を構えるなど複数の屋敷が見られますが、屋敷跡を拾うと、200邸以上の武家屋敷が描かれています。

  しかし、残念なことに、城跡には天守をはじめ堀や石垣など往時の遺構は僅かしかなく、また武家屋敷は住宅地に変わり、また戦いの敗者は地名に残されていないこともあり、武家屋敷の正確な位置が掴めている屋敷跡は非常に少ないようです。

  こうした中で現在、醍醐寺三宝院書院、西本願寺唐門、養源院天井板などの木幡山伏見城の建築や石垣などの遺構や、ほぼ碁盤目状の整然とした町並みに、福島大夫町、水野左近町、毛利長門町、井伊掃部町、羽柴長吉町、桃山町、景勝町、治部町、島津町など、かつて大名が住んでいたとされる大名ゆかりの町名が数多く残されており、現地を訪ねることで秀吉・家康時代の城下町の名残を感じることができます。

  一方、古地図を見ると、今では伏見城の大手門に通じる老舗も多い大手筋通は、もともとは武家屋敷が多く立ち並んでいた通りであり、当時は一筋南の油掛通付近の方に、車町、塩屋町、本材木町、納屋町と云った町名が散在していることからも、商人町としてかつての賑わいぶりを窺い知ることができます。

  また、上に触れた「両替町」は南北に1丁目から15丁目まで、「京町」は1丁目から10丁目まで古地図に載っているが、両替町には、その後銀座が置かれたことから、5丁目から8丁目(欠番)は銀座町1丁目から4丁目に代わり、今も両替町、京町、銀座町の町名は往時のままに残されています。

  ここでは、「豊公伏見城の図」、「伏見の図」(江戸期以前制作のもの)、「安土桃山地図―京都時代MAP」や文献資料、仁丹の町名看板を参考にして、現在の地図と重ね合わせながら 安土桃山時代における各藩邸とその推定地を取り纏めています。あくまで推定であることご了承願います。

  ここで秀吉が造った城下町・伏見を少し振り返ると、伏見の地は、京から高瀬舟で伏見へ下り、三十石船に積み替えて、淀、橋本、枚方、佐太、守口、野田などを経て終着天満橋八軒家浜(現在の土佐堀通り辺り)へと京都と天下の台所・大坂を結ぶ過書船や三十石船などの港町として賑わいました。

  同時に陸路の要所としても、京と伏見を結ぶ伏見街道をはじめ、大津より分かれ伏見・淀を通り大坂へ至る東海道・京街道(現在の京阪電鉄沿いに、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられた)、伏見から奈良へ至る新大和街道(現在の国道24号・近鉄奈良線沿い)など、伏見と京、大坂、奈良を結ぶ物資の集積拠点となりました。

  また公卿と各大名との接近を抑制するため、洛中を参勤交代のルートから外し、伏見をそのルートにしたこともあって、宿場や市場、蔵や両替商が建ち並び、水陸交通の要所として発展しました。

  秀吉は「難波のことは夢のまた夢」と辞世の句を残し、62歳の生涯を終え、秀吉の死後、1622年(元和8)に伏見城は廃城となるが、この城跡はいつのころか桃畑とかわり、その名も「桃山」、「桃山時代」と呼ばれるようになるのです。

  そして時は移り、幕末になると、寺田屋事件や鳥羽・伏見の戦いが起こり、薩摩や長州の藩邸があった伏見の南半分は焼失することになるが、坂本龍馬ゆかりの船宿・寺田屋、濠川を行く十石船、今も残る古い酒蔵や土蔵造りの家などが並ぶ風情ある町並み、幕府軍の本営が置かれた伏見奉行所の跡(今は団地の入り口付近に、小さな石碑があるだけ)、木幡山伏見城の門と石垣が残る御香宮神社、木幡山伏見城の総門の遺構が残る栄春寺など、史跡・名勝がいくつも残っています。

 現在の伏見桃山城の天守閣(写真)(現在非公開)は、豊臣、徳川期の城とは別物で、資料をもとに1964年(昭和39)、遊園地の一角に建てた模擬の天守。この場所は木幡山伏見城本丸から内堀を隔てた二の丸北側にある御花畑山荘(長束正家、近江水口5万石→12万石、1563〜1600年の屋敷)の跡地、本丸跡一帯には明治天皇の伏見桃山陵が造営され、域内は立入り制限されています。

  ついでながら、伏見より淀川水運によって繋がる大阪は北船場地区に、「伏見町」の町名があります。この町名の由来は、伏見の町人を招き、新市街地を開いたことから、伏見の名が付いたそうです。又、長堀川(伏見川とも呼ぶ)に架かる「心斎橋」は、伏見の町人、岡田心斎によって架橋されたので、その号を取って名付けられています。この他にも、平野町、淡路町、安土町、備後町など、秀吉によって呼び寄せられた町や商工業にちなむ町名が数多くあります。

  参考までに、豊臣政権期の五大老・五奉行とその石高を列挙すると次の通り、秀吉は晩年、五奉行に政務を分担させ、五大老に政務を補佐させた。

五大老

五奉行

徳川家康

256万石

石田三成

19万石・・行政

前田利家

84万石

浅野長政

22万石・・司法

宇喜多秀家

57万石

増田長盛

20万石・・土木

毛利輝元

121万石

長束正家

5万石・・財政

上杉景勝

120万石

前田玄以

5万石・・宗教

<追記>

◇秋田市立佐竹資料館を訪ねた際、発掘調査で見つかった「佐竹義宣の伏見屋敷の屋根瓦」が企画展で展示されていた。 2007年11月10日付け京都新聞によると「伏見区桃山福島太夫西町の伏見城城下町跡の発掘調査(京都市埋文研調査)で、安土・桃山期〜江戸初期の大名屋敷に使われた石垣や道路側溝が見つかった。調査地からは、常陸(現茨城県)の大名だった佐竹氏の家紋をあしらった瓦も出土しており、佐竹義宣の屋敷の可能性が高い」と云う。

◇2015年6月18日の報道によると、伏見区桃山町の指月の森付近の集合住宅の建設現場の発掘調査で、「幻の城」と呼ばれていた1594年(文禄3年)に築き、1596年の慶長の大地震で倒壊した指月伏見城の遺構とみられる南北40mに渡る石垣の一部や巨大な堀、多数の金箔瓦が出土した。

◇2015年6月18日、伏見城下の桃山筑前台町の発掘調査で、前田家の遺跡と見られる根固め石、複数の礎石据え付け穴と屋敷跡が見つかった。

<秀吉・家康によって作られた城下町の面影を今も残す伏見の町>

 

酒 蔵

十石船

寺田屋

龍馬の像

月桂冠大倉記念館(高山右近屋敷跡)

海宝寺(伊達神屋敷跡)

御香宮神社

伏見町奉行所跡(富田信高屋敷跡)

栄春寺

伏見銀座跡

乃木神社(徳川家康上屋敷跡)

明治天皇陵

松平筑前公園(松平利家上屋敷跡)

付属桃山中学校付近(井伊掃部屋敷跡)

長建寺(脇坂安治屋敷跡)

黒田長政屋敷跡

 

伏見稲荷大社

伏見口の戦い激戦地跡

町名看板(最上義光屋敷跡)

 

 

    

  区分欄の○印は町名に残されている大名屋敷跡 

 区分

屋 敷 名

推 定 地

上杉景勝の下屋敷跡

景勝町

景勝橋の南付近

吉川広家の屋敷跡

毛利町

景勝橋の西付近

石田三成の下屋敷跡

治部町

西丹波橋の西南付近

 

相馬俊胤の屋敷跡

治部町

西丹波橋の東付近

桑山重晴の屋敷跡

丹波橋町

キンシ正宗付近

毛利長門守の屋敷跡

毛利橋

毛利橋の東

 

佐久間政実の屋敷跡

紙子屋町

キンシ正宗付近

 

毛利高政の屋敷跡

石屋町

キンシ正宗付近

 

瀬川忠征の屋敷跡

石屋町

伏見板橋小学校の東

 

大島光政の屋敷跡

橦木町

近鉄伏見駅の東

 

冨田信高の屋敷跡

橦木町

近鉄伏見駅の東

 

谷衛友の屋敷跡

橦木町

近鉄伏見駅の東

池田輝政の屋敷跡

横大路三栖池田屋敷町

関西電力変電所付近

木下家定、勝俊、利房の屋敷跡

横大路三栖木下屋敷町

肥後橋(三栖神社)の北

 

山中長俊の屋敷跡

横大路下三栖山殿

三栖橋の北

蜂須賀至鎮の屋敷跡

阿波橋町

油掛町通りで壕川の西

島津義弘の下屋敷跡

島津町

伏見警察署の東

加藤清正の屋敷跡

肥後町

伏見区役所の西

村上義明の屋敷跡

村上町

保健環境研究所付近

 

村上義明の屋敷跡

周防町

保健環境研究所付近

 

津軽信枚の屋敷跡

西大手町

月桂冠の東、願生寺付近

 

杉原長房の屋敷跡

伯耆町

京阪伏見桃山駅の西

山崎家治の屋敷跡

山崎町

京姫酒造付近

 

宮城豊盛の屋敷跡

丹後町

月桂冠本社付近

平野長重の屋敷跡

平野町

京阪伏見桃山駅の西

 

古田織部の屋敷跡

竹中町

宝酒造付近

南部信直、利直の屋敷跡

南部町

伏見区役所と大手筋の間

 

高山右近の屋敷跡

南浜町

月桂冠本社付近

脇坂安治の屋敷跡

東柳町(中書島)

長建寺付近

加藤清正の屋敷跡

三栖向町

金井戸神社(三栖神社)付近

 

小早川秀秋の屋敷跡

御香宮門前町

御香宮神社付近

片桐且元の屋敷跡

片桐町

御香宮神社の南

山岡景友(道阿弥)の屋敷跡

道阿弥町

京阪桃山駅の東

 

富田信高の屋敷跡

讃岐町

桃陵団地の西

生駒親正の屋敷跡

讃岐町

京阪桃山駅の東

 

有馬豊氏の屋敷跡

桃陵町

伏見公園付近

 

山口直友の屋敷跡

桃陵町

桃陵中学校付近

浅野長政の屋敷跡

弾正町

桃陵中学校の南西

 

小出吉政の屋敷跡

弾正町

桃陵中学校の南

 

東条行長の屋敷跡

弾正町

桃陵中学校の南

 

松浦鎮信の屋敷跡

平戸町

桃陵中学校の南

大友義統の屋敷跡

豊後橋町

観月橋北詰

 

遠藤慶隆の屋敷跡

深草大亀谷(狼谷)

JR藤森駅の北東

 

秋田実季の屋敷跡

深草大亀谷(狼谷)

JR藤森駅の北東

 

織田信包、信康の屋敷跡

深草大亀谷西/東久宝寺町

JR藤森駅の北

中川秀成の屋敷跡

深草大亀谷内膳町

JR藤森駅の西南

金森可重の屋敷跡

深草大亀谷金森出雲町

JR藤森駅の西南

 

小西行長の屋敷跡

深草大亀谷古御香町

JR藤森駅の東南

黒田長政の下屋敷跡

深草大亀谷敦賀町

JR藤森駅の東南

 

分部光嘉の屋敷跡

深草大亀谷万帖敷町

JR藤森駅の東南

宇喜多忠家の屋敷跡

深草大亀谷安信町

紅雪池の北東

 

土岐康次の屋敷跡

深草大亀谷安信町

紅雪池の北東

 

畠山義春の屋敷跡

深草大亀谷安信町

紅雪池の北東

 

大野治長の屋敷跡

深草大亀谷安信町

紅雪池の北東

 

岡部融成の屋敷跡

深草大亀谷安信町

紅雪児童公園付近

 

伊達正宗の下屋敷跡

深草東伊達町/西伊達町

京阪藤森駅の東

 

生駒親正の屋敷跡

深草七瀬川町

京阪藤森駅南西

 

真田信之の下屋敷跡

深草鳥居崎町

京都教育大の西

 

松平康重の屋敷跡

深草藤森町

京都教育大の南

 

稲葉方通の屋敷跡

深草藤森町

京都教育大の南

有馬豊氏の屋敷跡

深草藤森玄蕃町

京阪墨染駅の北

 

京極高知の屋敷跡

深草中ノ島町

京阪墨染駅の東南

 

一柳直盛の屋敷跡

深草中ノ島町

京阪墨染駅の東南

 

市橋長勝の屋敷跡

深草山村町

京阪墨染駅の西

仙石秀久の屋敷跡

深草仙石屋敷町

京都教育大付属高校付近

関一政の屋敷跡

深草関屋敷町

京都教育大付属高校付近

前田利家の屋敷跡

深草加賀屋敷町

近鉄伏見駅の西北

 

亀井茲矩の屋敷跡

深草越後屋敷町

京都教育大付属高校付近

松平重勝の屋敷跡

深草越後屋敷町

京都教育大付属高校付近

大島光義の屋敷跡

深草大島屋敷町

京都教育大付属高校付近

谷衛友の屋敷跡

深草出羽屋敷町

京都教育大付属高校付近

佐野政秀の屋敷跡

深草佐野屋敷町

京都教育大付属高校付近

最上義光、家親の屋敷跡

桃山最上町

市立桃山中学校の北

 

九鬼守隆の屋敷跡

桃山水野左近西町

市立桃山中学校の北

水野重良の屋敷跡

桃山水野左近西町

市立桃山中学校付近

井伊直孝の屋敷跡

桃山井伊掃部東町/西町

京都教育大付桃山中学校付近

 

長宗我部盛親の屋敷跡

桃山井伊掃部東町

京都教育大付桃山中学校付近

 

毛利高政の屋敷跡

桃山井伊掃部東町

京都教育大付桃山中学校付近

 

池田長吉の屋敷跡

桃山井伊掃部西町

京都教育大付桃山中学校付近

 

石川康通の屋敷跡

桃山井伊掃部西町

京都教育大付桃山中学校付近

 

稲葉典通の屋敷跡

桃山井伊掃部西町

京都教育大付桃山中学校付近

 

高木九助の屋敷跡

桃山井伊掃部西町

京都教育大付桃山中学校付近

細川(長岡)忠興の屋敷跡

桃山長岡越中東町

京都教育大付桃山中学校の東

 

伊達正宗の下屋敷跡

桃山長岡越中北町/西町/南町

京都教育大付桃山中学校の東

 

森忠政の屋敷跡

桃山長岡越中南町

京都教育大付桃山中学校の東

 

加藤貞泰の屋敷跡

桃山長岡越中南町

京都教育大付桃山中学校の東

福島正則の上屋敷跡

桃山福島太夫南町

京都教育大付桃山小学校の東

 

佐竹義宣の上屋敷跡

桃山福島太夫西町

京都教育大付桃山小学校の東

 

生駒一正の屋敷

桃山筒井伊賀東町/西町

京都教育大付桃山小学校付近

 

島津以久の屋敷跡

桃山筒井伊賀東町/西町

京都教育大付桃山小学校付近

筒井定次の屋敷跡

桃山筒井伊賀東町/西町

京都教育大付桃山小学校付近

 

日根野高継の屋敷跡

桃山筒井伊賀東町/西町

京都教育大付桃山小学校付近

 

田中吉政の上屋敷跡

桃山筒井伊賀東町/西町

京都教育大付桃山小学校付近

羽柴長吉(池田長吉)の屋敷跡

桃山羽柴長吉東町/中町

近鉄丹波橋駅の南

 

古田重治の屋敷跡

桃山羽柴長吉中町

近鉄丹波橋駅の南

加藤嘉明の屋敷跡

桃山羽柴長吉中町

近鉄丹波橋駅の南

 

亀井茲矩の屋敷跡

桃山羽柴長吉西町

近鉄丹波橋駅の南

 

岡部長盛の屋敷跡

桃山羽柴長吉西町

近鉄丹波橋駅の南

毛利輝元、秀就の上/下屋敷跡

桃山毛利長門西町/東町

府立桃山高校の西

 

堀尾忠氏の屋敷跡

桃山毛利長門西町

府立桃山高校の西

 

蜂須賀家政の屋敷跡

桃山毛利長門東町

府立桃山高校付近

前田利家の屋敷跡

桃山筑前台町

JR桃山駅の北西

 

岡紅雪の屋敷跡

桃山紅雪町

紅雪池の東

本多成重の屋敷跡

桃山町丹下

栄春寺付近

伊達正宗の上屋敷跡

桃山町正宗

桓武天皇陵の北、海宝寺付近

 

山内一豊の屋敷跡

桃山町永井久太郎

桓武天皇陵の西

 

織田秀信(三法師)の屋敷跡

桃山町永井久太郎

桓武天皇陵の西

永井直勝の屋敷跡

桃山町永井久太郎

桓武天皇陵の西

堀秀治の上/下屋敷跡

桃山町永井久太郎

桓武天皇陵の西

島津以久の上屋敷跡

桃山町島津

府立桃山高校の北東

 

松平忠吉の屋敷跡

桃山町下野

府立桃山高校の東

池田利隆の屋敷跡

桃山町松平武蔵

JR桃山駅の北

鍋島勝茂の屋敷跡

桃山町鍋島

御香宮神社の南東

浅野幸長の屋敷跡

桃山町鍋島

JR桃山駅の西

徳川家康の上屋敷跡

桃山町三河

桃山高校の東

 

松平秀康の屋敷跡

桃山町三河

桃山高校の東

池田輝政の屋敷跡

桃山町三河

JR桃山駅の北

石田三成の上屋敷跡

桃山町治部少丸

伏見桃山城三の丸の西

前田玄以の上屋敷跡

桃山町大蔵

伏見桃山城本丸の北

長束正家の上屋敷跡

桃山町大蔵

伏見桃山城本丸の北西

浅野長政の上屋敷跡

桃山町大蔵

伏見桃山城本丸の北西

増田長盛の上屋敷跡

桃山町大蔵

伏見桃山城三の丸の東

金森長近の屋敷跡

桃山町金森出雲

御香宮神社の西

前田利家、利長の上屋敷跡

桃山町松平筑前

松平筑前公園付近

 

宮部継潤の屋敷跡

桃山町本多上野

市立桃山小学校付近

本多正純の屋敷跡

桃山町本多上野

乃木神社の西南

板倉勝重、重宗の屋敷跡

桃山町板倉周防

乃木神社の東

徳川家康の上屋敷跡

桃山町板倉周防

乃木神社付近

宇喜多秀家の屋敷跡

桃山町板倉周防

乃木神社の北

 

小西行長の屋敷跡

桃山町板倉周防

乃木神社の東

 

立花宗茂の屋敷跡

桃山町伊賀

京都橘高校付近

 

石田三成の上屋敷跡

桃山町伊賀

京都橘高校の南

 

真田信之の上屋敷跡

桃山町駿河

京都橘高校の東

 

山口直友の屋敷跡

桃山町駿河

京都橘高校の東

本多忠政の屋敷跡

桃山町美濃

京都橘高校の東

西笑承兌の屋敷跡

桃山町泰長老

指月の森付近

 

五島玄雅の屋敷跡

桃山町泰長老

指月の森付近

 

寺沢広高の屋敷跡

桃山町泰長老

泰長老公園の北

浅野長政の屋敷跡

桃山町泰長老

泰長老公園の西

 

山中長俊の屋敷跡

桃山町泰長老

簡易裁判所付近

 

蒲生秀行の屋敷跡

桃山町泰長老

簡易裁判所付近

水野勝成の屋敷跡

桃山町日向

桃山東小学校の北東

加藤嘉明の屋敷跡

桃山町遠山

桃山東小学校の北東

遠山友政の屋敷跡

桃山町遠山

桃山東小学校の北東

 

松倉重政の屋敷跡

桃山町伊庭

桃山東小学校付近

 

西尾忠永の屋敷跡

桃山町西尾

京阪宇治線六地蔵駅の北

 

小堀政一(遠州)の屋敷跡

桃山町西町

京阪宇治線六地蔵駅の北西

西尾光教の屋敷跡

桃山町丹後

京阪桃山南口駅の東

 

織田長益(有楽斉)の屋敷跡

桃山町丹後

京都橘高校の東

藤堂高虎の屋敷跡

桃山町和泉

京阪桃山南口駅の東北

本多政武の屋敷跡

桃山町因幡

京阪宇治線六地蔵駅の北西